過去を変えられない自分と、どう生きていくか
過去は戻らないと分かっていても
過去は戻らないし、変えることはできない。
頭では、分かっています。
けれど、ときどき、
「あのとき、どうして立ち止まれなかったのだろう」
「もっと違う選択があったのではないか」
「大切な人を、傷つけてしまった…」
そうした思いが、静かに胸を締めつけることがあります。
私自身も、そんな後悔を抱えています。
「あのとき、ああしていれば」
「もっと、うまくできたのではないか」
そう考え始めると、「時間は戻らない」という事実がひどく重く感じられることがあります。
「過去の出来事があったから、今がある」
そう言われれば、その通りなのかもしれません。
けれど、
まだ出来事への思いを消化しきれていないとき、その言葉は、どこか遠く感じてしまいます。
では、そんな後悔とともに、私たちはどう生きていけばいいのでしょうか。

後悔の正体
後悔は、できれば抱えたくないものです。
思い出すたびに胸が重くなり、なかったことにできたらと思ってしまいます。
できなかったこと。
足りなかったこと。
守れなかったもの。
そして、傷つけてしまったかもしれないという思い。
そうしたことが、時間が経っても胸に残り続ける感覚。
けれど、自分にとってどうでもよかったことを、人はこんなに長く抱えません。
手放せない後悔の奥には、「本当は守りたかった何か」や、「大切にしたかった願い」が 確かにあったのだと思います。
そして同時に、あのときの自分には、あれが精一杯だったという事実も、きっとあったのではないでしょうか。
過去の自分へのまなざし
あのときの選択が、正しかったとは言い切れないかもしれません。
誰かを傷つけたかもしれない。
もっとできたことがあったのかもしれない。
その思いは、簡単には消えないこともあります。
けれど、あのときの自分は、
あのとき持っていた力で
あのとき見えていた景色の中で
必死に立っていた。
それを、
「それでよかった」と思えなくても、
「あのときの私は、あれが精一杯だった」と、静かに認めることはできるのではないでしょうか。

後悔とともに生きるということ
後悔は、消えてくれないかもしれません。
罪悪感も、ときどき顔を出すかもしれない。
けれど、後悔をなくすことがゴールなのではなく、後悔を抱えたまま、自分を否定せずに立っていくこと。
それが、過去を変えられない自分と生きる、ひとつの在り方なのだと思います。
後悔がある自分も
未熟だった自分も
それを抱えているのが、いまの私です。
正しかったとは言えなくても、なかったことにしなくてもいい。
その自分を否定せずに、痛みを抱えたまま今日を生きている。
その姿そのものが、もう十分に誠実なのではないでしょうか。
過去は変えられません。
けれど、過去を抱えた自分へのまなざしは、少しずつ変えていくことができます。
後悔があってもいい。
未熟さがあってもいい。
それでも私は、ここに立っている。
それが、後悔とともに生きるということなのだと思います。



