白黒つけたくなるとき、心で起きていること

〜「こうあるべき」で苦しくなる心のしくみ〜

答えをすぐに決めてしまう瞬間

人の言葉や態度を、白か黒かで見てしまうことがあります。

職場で小さなミスを指摘されたとき。

本当は、ただ確認しただけかもしれない。

次から気をつければいい話だったのかもしれない。

それなのに心の中では、

「私はできない人だと思われた」

「やっぱり私はダメなんだ」

と、自分の価値まで一気に下がってしまう。

LINEの返信がいつもより短いだけで、「忙しかったのかな」ではなく、「きっと嫌われたんだ」と決めてしまう。

そうなると、相手の言葉そのものよりも、自分の中で出した答えの方に心がとらわれていきます。

白黒つけるのは、心が急いで答えを置こうとするとき

相手がどう思ったのかわからない。

自分の対応が正しかったのかもわからない。

この先、関係がどうなるのかも見えない。

その曖昧さを抱え続けるのは、とてもエネルギーがいります。

だから心は、「きっと嫌われたんだ」「私が悪かったんだ」と、どちらかに決めようとします。

答えが出れば、少なくとも曖昧さは一度片づきます。

けれど、急いで出した答えほど、本当に起きていることの全部を拾えていないことがあります。

相手の事情も、自分の疲れも、まだ言葉になっていない気持ちも。

白か黒かに分けるほど、見えなくなるものがあるのです。

「こうあるべき」という物差しは、自分にも向いていく

「こうあるべき」という物差しは、最初は自分を守るために生まれたものかもしれません。

ちゃんとしていれば怒られない。

気を配っていれば嫌われない。

そう思えた方が、心は少し落ち着きます。

けれど、その物差しが強くなりすぎると、人を見る目も、自分を見る目も厳しくなっていきます。

小さなミスをしただけなのに、「私は仕事ができない」。

少し強い口調で言われただけなのに、「私は大切にされていない」。

一つの出来事のはずが、自分の価値が全部下がったように感じてしまう。

先に「私が悪い」と決めておけば、誰かに責められたときの衝撃を、少しでも小さくできる。

そんなふうに、心が自分を守ろうとしていることもあります。

けれど、傷つかないために始まったはずの考え方が、いつの間にか、自分を傷つける言葉になってしまうのです。

まずは、その心の動きに気づくところまで

白黒つけたくなる自分に気づいたとき、まずは、こんなふうに見てみてください。

「今、早く答えを出したくなっているな」

「決まらない状態が、苦しいんだな」

感じたことを、心の中に「いていい」と認めることと、その感情のまま相手を責めたり、自分を罰したりすることは別のことです。

「嫌われた気がする」と感じた。

でも、本当に嫌われたと決めなくていい。

「私が悪かった気がする」と感じた。

でも、全部自分の責任だと決めなくていい。

白黒つける前に、「今、私は決めたいくらい苦しいんだな」と気づく。

それだけで、反応と行動のあいだに、小さな間ができます。

おわりに

白黒つけたくなるとき、心は何かを急いで落ち着かせようとしています。

間違えたくない。

傷つきたくない。

これ以上、自分の価値が揺らぐのを避けたい。

そんな心の動きが、答えを急がせてしまう。

けれど、人の気持ちも、自分の気持ちも、すぐには決めきれないもの。

あの人の一言の意味も、自分が本当はどう感じていたのかも、少し時間が経ってから見えてくるものがあります。

白黒つけたくなったときは、まず「今、自分は、すぐに答えが欲しいくらい苦しいんだな」と見てあげる。

その気づきが、白黒つけたくなる心を、少しずつゆるめていく最初の一歩になります。

次回は、その「どちらもある」という、白でも黒でもない状態を抱えていられる力について、もう少し深めて書いてみます。