曖昧なまま抱えていられる力
〜「こんな自分も、あんな自分もある」と気づいたとき〜
すぐに答えを出したくなる場面で
前回の記事では、白黒つけたくなる心について書きました。
人の言葉や態度を、
「正しい・間違っている」
「好かれている・嫌われている」
「自分が悪い・相手が悪い」
と、どちらかに決めたくなることがあります。
それは、性格の問題だけではありません。
決まらない状態が苦しくて、心が急いで答えを置こうとしている。
そんな心の働きでもあります。

たとえば、仕事で上司から
「この仕事、どうなっているの?」
と聞かれたとき。
本当は、ただ進み具合を確認したかっただけかもしれません。
けれど心の中では、すぐに
「仕事が遅いと思われた」
「できない人だと思われた」
「もう任せてもらえないかもしれない」
と、答えを出してしまうことがあります。
そうなると、確認された出来事そのものよりも、自分の中で決めた答えに心がとらわれていきます。
また指摘されないように。
できない人だと思われないように。
自分をどんどん追い込んで、心も体も疲れているのに、誰にも相談できないまま抱え続けてしまう。
こうした決めつけは、一度や二度で終わりません。
少し聞き返された。
小さなミスを指摘された。
そのたびに、
「やっぱり自分には無理だ」
「嫌われたに違いない」
「もう信頼されていない」
と、判定を下してしまう。
気づけば、頼ることが難しくなり、相談することが怖くなり、一人で抱えることが増えていく。
それは、能力が足りないからではなく、白か黒かのどちらかに決めてしまう心のクセが、自分の動き方を狭めているだけなのかもしれません。
その瞬間の気持ちは、ひとつではない
けれど、よく見てみると、その瞬間の気持ちは、ひとつではなかったはずです。
認めてもらいたい気持ちがある。
でも、失敗するのが怖い気持ちもある。
自分のことは後にしても平気だと思う気持ちがある。
でも、本当は自分を大切にしたい気持ちも、どこかに残っている。
「相手の言い方がきつかった」と感じる自分がいる。
でも同時に、「自分にも確認が足りなかったかもしれない」と思う自分もいる。
そのどちらも、自分の中にある気持ちです。
どちらか一方だけを正解にしなくても、両方ある。
そう見られるようになると、心の中に少しだけ広さが生まれます。

どちらかに決めた方が、迷わずに済む
両方あると見ることは、簡単ではありません。
相手が悪い。
自分が悪い。
正しい。
間違っている。
もう無理。
まだ頑張れる。
どちらか一方に決めてしまった方が、頭の中は整理されたように感じます。
「相手が悪い」と決めれば、距離を取ればいい。
「自分が悪い」と決めれば、反省すればいい。
答えが出れば、モヤモヤと考え続けなくて済みます。
でも本当は、白か黒かだけでは言い切れないことが、日常の中にはたくさんあります。
相手の言葉に傷ついた。
でも、相手にも余裕がなかったのかもしれない。
腹が立った。
でも同時に、悲しかった気持ちもある。
もう関わりたくないと思った。
でも本当は、わかってほしかった気持ちもある。
どちらかだけが本当なのではなく、どちらも、自分の中で起きていたこと。
そのように見られることが、曖昧さを抱える力の入口になります。
気持ちを認めることと、そのまま動くことは別のこと
ここで大切なのは、感じたことを認めることと、その気持ちのまま動くことは別だということです。
「相手の言い方が嫌だった」と感じる。
でも、そのまま相手を責めるかどうかは別です。
「私が悪かった気がする」と感じる。
でも、全部自分の責任だと決める必要はありません。
「もう無理」と思う。
でも、その日の疲れから強く感じているだけかもしれません。
感じたことを、なかったことにしない。
けれど、その感情のまま結論を急がない。
この二つを分けられるようになると、心の中に少し間ができます。
その間があることで、人を責めすぎずに済むことがあります。
自分を追い詰めすぎずに済むことがあります。
本当は何が苦しかったのかを、あとから少し見つめ直すことができます。

曖昧なまま抱えていられる力
曖昧なまま抱えていられる力とは、白でも黒でもない状態を、急いで片づけずに置いておける力。
それは、我慢することとは違います。
自分の気持ちを押し込めることとも違います。
見えていることと、まだ見えていないことを、分けて置いておく力。
自分の気持ちを認めながら、すぐに結論を出さずにいられる力です。
すぐに答えを出したい日もあります。
誰かの言葉を悪い方に受け取ってしまう日もあります。
自分を責める方へ戻ってしまう日もあります。
それでも、以前ならすぐに
「私が悪い」
と決めていた場面で、
「そうとは限らないかもしれない」
と、ほんの少し立ち止まれる。
以前ならすぐに
「相手が間違っている」
と切り分けていた場面で、
「私は傷ついた。でも、相手の事情はまだ全部わからない」
と、少しだけ距離を取れる。
その小さな間が、心を少しずつやわらかくしていきます。
心が少しやわらかくなるとき
白黒つけることは、決まらない苦しさを早く終わらせようとする心の反応でした。
でも、白でも黒でもない状態を抱えられるようになると、答えを探し続けていた心の力みが、少しずつゆるんでいきます。
「相手が悪いか、自分が悪いか」を、その日のうちに決めなくてもいい。
「できたか、できなかったか」で、今日の自分を全部決めなくてもいい。
「もう無理か、まだ頑張るか」を、急いで選ばなくてもいい。
そう思える日が、少しずつ増えていく。
たとえば、上司の一言に胸がざわついた日。
いつもなら、
「もうダメだ」
「私は信頼されていない」
と、心の中で結論を出していたかもしれません。
でもその日は、
「私は今、責められたように感じたんだな」
「でも、本当にそうだったかは、まだわからない」
と、少しだけ置いておけた。
それだけでも、心の中では大きなことです。
すぐに結論を出さずに一日を過ごせた。
自分を責め切らずに、夜を迎えられた。
誰かを悪者にしないまま、自分の気持ちにも気づけた。
そういう小さな積み重ねの中で、こわばっていた心は少しずつやわらかくなっていきます。

おわりに
曖昧なまま抱えていられる力は、最初から強く持てるものではありません。
白黒つけたくなる日もあります。
すぐに答えを出したくなる日もあります。
「やっぱり私が悪い」と戻ってしまう日もあります。
それでも、
「今、決めつけたくなっているんだな」
と気づけること。
「でも、まだ全部は見えていないかもしれない」
と、少しだけ待てること。
その小さな間が、心の器を育てていきます。
白でも黒でもないものを抱えることは、自分をあいまいにすることではありません。
自分の気持ちを認めながら、見えていないものを決めつけずに置いておくこと。
その力が育つと、人との関係も、自分へのまなざしも、少しずつやわらかくなっていきます。

次回は、
この「曖昧さを抱えられること」が、どんなふうに自己受容や心の器とつながっていくのかを、もう少し綴ってみたいと思います。


