何もできなかったと思う日に
十一月に入り、日が暮れるのが早くなりました。

いつもの時間に犬の散歩に出かけても、帰る頃にはあたりが暗くなっています。
少し前までは明るかった帰り道に、車のライトが目立つようになり、季節がまた一歩進んだことを感じます。
季節は、こうして毎日少しずつ進んでいきます。
先月の「こころ日和🌿」では、変わらないように見える日々のことを書きました。
季節とは反対に、自分のことを振り返ると、少しも進んでいないように感じる日があります。
やろうと思っていたことができなかった。
考えていたことに手をつけられなかった。
気持ちの整理もつかないまま、また一日が終わってしまった。
そんなとき、心に浮かぶのは、
「今日も何もできなかったな…」
という言葉だったりします。
できなかったことばかりが残る
一日の終わりに、今日を振り返る。
すると、できたことよりも、できなかったことの方が先に浮かんできます。
あれもできなかった。
これも終わらなかった。
昨日と何も変わっていない。
本当は、朝からいろいろなことをしていたはずなのに、思い描いていたところまで進めなかったというだけで、一日全体が何もなかったように感じてしまう。
特に、責任感が強く、自分に厳しい人ほど、一日の終わりに自分の足りなかったところを数えてしまいます。
誰かとの約束を守れたことも、目の前の用事を済ませたことも、気持ちが沈む中で人と接していたことも、振り返るときには見落としてしまう。
できなかったことが、今日のすべてのようになってしまうのです。
一日を過ごすだけで、手いっぱいだった頃
私自身にも、先のことが見えず、何をどうすればいいのか分からないまま、日々を過ごしていた時期があります。
何かを始める気力も湧かない。
考えても答えが出ない。
昨日と変わらないように感じる自分のまま、また朝を迎える。
そんな日々が続くと、自分だけが同じところに取り残されているように感じました。
周りの人は前に進んでいるのに、自分は何もできていない。
そう思うと、過ぎていく時間まで無駄にしているような気がしていました。
けれど、今振り返ると、あの頃の私は何もしていなかったわけではありません。
気持ちが晴れないまま一日を過ごし、目の前にあることを済ませ、何とか夜を迎えていた。
当時は、それを、何かを成し遂げたこととは思えませんでした。
けれど、あの頃の自分にとっては、それだけで精いっぱいだったのだと思います。

一日の中には、数えられない時間もある
私たちは、一日を振り返るとき、目に見える結果やできたことを基準にしがちです。
仕事が進んだ。
家のことが片づいた。
昨日より前に進めた。
そうしたことは、確かに振り返りやすいものです。
一方で、気持ちが沈んでいても、朝、カーテンを開けたこと。
家族に声をかけられて、いつも通りに返事をしたこと。
思うようにいかないことを抱えながら、夕方まで過ごしたこと。
こうした時間は、成果として目に見える形には残りません。
だから、振り返るときには、数に入らないまま通り過ぎてしまいます。
けれど、何も形にできなかった日にも、自分が使っていた力があります。
誰かに説明できるような立派なことではありません。
自分でも気づかないうちに、何とか今日を過ごすために使っていた力です。
いつもの帰り道で
散歩の帰り道が暗くなっていたことに気づいたのは、毎日同じ時間に歩いていたからでした。
日々の変化は、その日その日では見えなくても、いつもの暮らしを続けた先で、ふとした差として見えてきます。
何もできなかったと思う日々の中にも、自分では数えられないまま過ぎていく時間があります。
それは、ひとりで振り返っていると、なかなか見えません。
誰かと一緒に振り返ったとき、「あの日も、ちゃんと過ごしていたんだ」と、ようやく見えてくることもあります。
一日の終わりに目に入るものが、いつもその日のすべてとは限らないのです。

今の心を、少しずつ整理する90分個別相談
自分では何も変わっていないように感じる日々を、ひとりで見つめ続けていると、何から考えればいいのか分からなくなることがあります。
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