丁寧な言葉なのに、なぜか寂しい

人との会話や文章のやり取りで、丁寧で間違いのない返事をもらったのに、

「ちゃんと伝わっているのかな」

「分かってもらえているのかな」

と、なぜか寂しさのようなものを感じることがあります。

反対に、ほんの一言、

「そうだったんだね」

と言ってもらっただけで、ほっとして、心が和らぐ。

そんなこともあります。

この違いは、いったい何なのでしょうか。

特に最近は、いろいろな技術の発達によって、丁寧で、間違いのない言葉に触れる機会が、以前より増えているように感じます。

言葉も文章的にも整っていて、感じの悪いところは何一つない。

それなのに、その丁寧さの奥に、自分がちゃんと受け取られているという感覚を得られないことがあります。

私たちが受け取っているもの

困っていることを誰かに相談したとします。

こちらの話を聞いて、

「それなら、こうすればいいんじゃない?」

と教えてくれる。

あるいは、

「気にしなくて大丈夫だよ」

「そんなに考えなくてもいいよ」

と励ましてくれる。

どれも、相手なりに考えてくれた言葉です。

心配してくれていることも分かります。

それでも、話し終わったあとに、なぜか心に小さな寂しさが残ることがある。

人とのやり取りでは、言葉の内容だけを受け取っているわけではありません。

その人が、正しく間違いのない答えを渡そうとしたのか。

それとも、こちらの気持ちがそこにあることを、少し立ち止まって受け取ってくれたのか。

そんなことも、心は感じ取っています。

だから、「そうだったんだね」と、一言言ってもらっただけで、心がほっとすることがあるのです。

それは、「私のことを、ちゃんと受け取ってもらえた」という感覚が、そこにあるからです。

正しさだけでは、安心できない

もちろん、正しい答えが必要なときもあります。

どうすればいいのか分からないときには、具体的な方法を教えてもらうことで助かることもあります。

けれど、答えをもらうことより先に、「今の気持ちを分かってほしい」という思いが、心の奥にある。

悲しかった。

悔しかった。

不安だった。

寂しかった。

そんな気持ちを、「そうだったんだね」と、そのまま受け止めてもらう。

それだけで、少し呼吸がしやすくなります。

カウンセリングの場でも、何が正しいかを急いで探すより、今、何を感じているかを一緒に見ていくことを大切にしています。

自分自身に対しては、どうでしょう

人から分かってもらえると、ほっとする。

それなのに、自分には、同じような言葉をかけられないことがあります。

悲しくて立ち止まっていると、

「いつまで落ち込んでいるんだろう」。

不安になれば、

「もっとしっかりしなくちゃ」。

うまくできなければ、

「こんなこともできないなんて」。

自分の気持ちを受け止める前に、次の答えを先に探してしまいます。

でも、「今、悲しかったんだね」「不安だったんだね」と、自分の気持ちがそこにあることを、そのままみてあげることもできる。

それは、自分を甘やかすこととは違います。

自分の気持ちを、なかったことにしないということなのです。

人にしてほしかった「そうだったんだね」を、自分にも向けてみる。

すぐに答えを出さなくていい。

すぐに気持ちを切り替えなくていい。

まず、「私は、そう感じていたんだな」と、自分のところに戻ってくる。

最後に

丁寧な言葉を使うことも、正しいことを伝えることも、大切です。

けれど、それだけでは届かないものがあります。

人との間にある、「ちゃんと受け取ってもらえた」という感覚。

そして、自分自身にも向けられる、同じまなざし。

どちらも、小さなところから始まります。